フィルムからフィルムまで #19
《長屋紳士録(1947)》
あらすじ
戦災で夫と息子を亡くしたおたねは、下町の長屋街で荒物屋を営んでいた。ある日、向かいに住んでいる為吉から、父親とはぐれた男の子を託される。街頭占い師の田代が、つい見かねて連れてきてしまったのだという。はじめは厄介者あつかいをしていたおたねだが、自分でも気づかないうちに情がわいてきて……。
※この連載では、冒頭シーンの描写もふくめて、あるていどストーリーの展開に触れています。あらかじめご了承ください。
いまの子は、むかしほど鼻ったらしもいないけど、のんびりしてないねえ。
戦後まもないころの、下町の長屋街。
もう日も暮れて、街灯の裸電球がぽつねんと点っている。
どこからか、拍子木をうち鳴らしているような冴えた音が聞こえてくる。
家のまえには、木の桶やたらいが置きっぱなしにしてある。
内側からのあかりで、入口の障子があかるんでいる。
そんな長屋の一間。
火鉢のまえで座布団にあぐらをかいている短髪の男性・為吉が、さし向かいの相手に、真剣な表情で語りかけている。どうやら別れ話のようなのだけれども、様子がおかしい。ずいぶんと格好をつけた、芝居がかった調子なのだ。
……よくせきのことと諦めて、切れると承知してくんな。死ぬよりつらいことなんだ。おまえにそんなに拗ねられては、おれぁ、生きてる空はない……。
鳥打帽(ハンチング)をかぶって髭を生やしたすらりとしている男性が、開けっぱなしの玄関の敷居をまたいでスタスタと入ってくるや、為吉を見て、きょとんとしている。語りの切れめで、ただいま、と声をかけ、靴を脱いで上がる。
引いた構図のカットへと切り替わる――為吉のまえの座布団には、だれも座ってはいない。それとも、彼にだけは相手が見えているのだろうか。
仕事を終えて帰ってきたらしい街頭占い師・田代は、障子のそばまでやってくると、もういちど、ただいま、と声をかける。気がつき、あわてて応じる為吉。おうおう、おかえり。
だれか、きてたのか?
いや。
話してたじゃないか。
いいや、こっちのこった。今日は早かったね。
うん。
おい、おいで、と田代が、彼の後からついてきて、敷居の外に立ったままでいたこどもに声をかけると、為吉のまえに座る。
小学校に上がるか上がらないかくらいの男の子が、そばまでやってきた。
派手に破れたズボンのポケットに両手をつっこんだまま、無表情でじっと立っている。水泳帽のような形の帽子に、ざっくりとしたセーター。かゆいのか、ときおり両肩を交互に上げ下げしながら上体をくねらせる。
……なんだい?
このこども、拾うてきた。
(余計なことを、とでもいう風に)どっからよ?
九段から、ついてきてしもうて。
宿なしかい。
いやあ、けさ親と茅ヶ崎から出てきて、九段で親にはぐれてしもうたんじゃ。今晩、泊めてやってもらえんかなあ。
ところが為吉は、あからさまに難色を示しつづける。薄情に思えるけれども、大勢の戦災孤児がいて、大人たちも日々の暮らしに懸命だった世情がうかがえる。こういう事態が生じている時点で、警察の保護が間に合っていないわけだ。
かあやんとこ置いてきなよ、かあやんとこへ。
いい子なんだがなあ。
田代はあきらめて、向かいのおたねさんの家へと向かう。あぐらをかいたまま首を伸ばして、出てゆく二人を見ている為吉。
けっきょく迷い子の幸平は、こちらも歓迎ムードとは言えないながらも、おたねさんのところで寝床を得られることになる。
図らずもいっしょに暮らすことになった二人の、奇妙な七日間が始まった。
——とにかく歯に衣を着せない、下町の長屋住まいのひとびと。口はわるいけれども、正直といえば正直なしゃべりっぷりだ。そして、きっつい一方で、実にさっぱりもしている。
幸平をしぶしぶながら受け入れる荒物屋のおばちゃん、おたねさんにしても、おばあちゃん、と彼に呼ばれた時にはもちろん、カッとなれば幼な子だろうと遠慮なく、土佐犬に似ている、と評される表情で叱りつけるけれども、かんちがいで濡れ衣を着せていたとわかると即座に、おばちゃんがわるかったね、堪忍しておくれね、ごめんな、と率直に謝罪をする。
そういう風通しのよい人物であればこそ、いざという場面で人情劇に特有のくさいせりふを堂々と語っても、こちらの耳へすっと入ってくる。
テンポがよくて飾り気のないかけ合いの中から、じんわりと、おかしみや哀しみが滲みだしてくるかのようで、笑わせてやろう、泣かせてやろう、という気負いを感じさせない。
戦後間もないころの生活実感に根ざした人間ドラマを、キリッとした構図の、トントン拍子の映像で見せてくれる。品格があり、それでいて世相にも目配りがきいている。下町出身の名監督らしい作品だ。
……と、歯切れのよさを強調しておいてなんだけれども、下町育ちの人間からみて特にリアリティがあるなと感じられたのは、実は、おたねさんの内弁慶なところだ。
近所のひとには男顔負けな調子でズケズケとしゃべるのに、外出先でものを訊ねた時には、不本意な答えを聞いて何か言いたそうにしても、むすっとしたまま口を開かない。初対面のひとには一線を引き、それでいて、やりとりにはそつがない。万人にあけっぴろげという訳ではなくて、二面性があるのだ。
飯田蝶子の演じたそういうおばあちゃん——いや、おばちゃんを見ていたら、これまでの人生で知り合ったいろいろな人のことが、思い出すともなく思い出されてきた。
こどものころに昭和から平成へと移り変わり、あっという間に、令和も、もうすぐ六年目。
あくの強い近所のおばちゃんにも、お会いしなくなってしまった。
《フィルムからフィルムまで #19『長屋紳士録』 了》
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