フィルムからフィルムまで
まえがき いつの時代も変わらない本質

 このエッセイでは、戦前(1920〜30年代ごろ)から1990年代までのあいだに公開された、いま観ても魅力的な日本映画をご紹介してゆきます。

 連載小説『平成おとぎ草子』の舞台になっている90年代に限定すれば解りやすいのでしょうが、それではもったいない気がしました。サイレント(無声)時代もふくめてさまざまな旧邦画をそれなりに観賞してきましたが、もちろんその他の年代にも、良作はたくさんありますので。

 とはいえ、該当する期間に公開された映画は膨大な本数にのぼるため、選ぶにあたってはなにかしらのテーマを設けたい。

 そう考えていたとき、ちょうど読み進めていた美術監督・種田陽平氏の著書のなかのある一節に、はっとさせられたのでした。

 種田氏は、映画では『スワロウテイル』『ザ・マジックアワー』『キル・ビル Vol.1』『思い出のマーニー』、TVドラマでは『私立探偵 濱マイク』など、日本と海外、実写とアニメーションの世界を股にかけながらセットデザインによって印象的な世界観を演出してきた方です。

 『となりのトトロ』や『火垂るの墓』を見直して思ったのですが、ジブリのアニメ映画は純真さを描いているからこそ今も色褪せない魅力を持っている。(中略)そのピュアネスが普遍性を持っているために、海外の人たちにも伝わるのだと思います。
 かつて、日本の実写映画にもそうしたピュアネスが確かに存在していました。溝口健二監督や小津安二郎監督の作品を見ればわかると思いますが、ピュアな人間が主役として出てきて、映画全体がその純真さに洗われる気がするくらい強いのです。(中略)こういう映画は時代が大きく変わっても、映画と登場人物が持っている純粋さが今も生き生きと輝いて観る者を魅了します。

 種田陽平『ジブリの世界を創る』角川oneテーマ21、二〇十四年。


 いまや毎年の映画興行ランキングの上位を占めつづけているアニメ映画と、いわゆる邦画黄金時代の名匠の映画にあたりまえのように同時に言及しているこの文章は、日本の映画史に脈々と流れているある本質的な特色の一つを発見して下さっているように思いました。

 ただひとつ指摘させて頂きたいのは、種田氏は“純真さ”と“純粋さ”という二種類の言葉をお使いになっていますが、ここで氏が主張なさりたいのはどちらかというと“純真さ”の方だと思います。

 というのは、“純真”は「邪心がない」というほどの意味で「善/光」方面のみをさし示すいっぽう“純粋”はまず第一に「混じりけがない」という意味なので、「悪/闇」をも含め得るからです(英語のpureは“純粋”に近い)。


 このことを念頭に置いた上で氏の主張を参考にさせていただき、私としては、より幅広い作品をとりあげられるであろう“純粋さ”をテーマ設定のためのキーワードに選びました。

 フィルムの時代からフィルムの時代までの、“純粋さ”を描いている日本映画をとりあげてゆく。その結果として、ピュアな邦画ばかりがずらりと並んだリストができたら面白いな、と思っています。

 内容そのものの魅力をお伝えするとともに、今も昔も変わっていない、普遍的な要素も発見してフォーカスするように心がけます。

 関心を抱いてくださった方が観てみやすいように、基本的にはインターネット配信などで視聴できる作品を中心にとりあげます。

 とはいえ、劇場のスクリーンで観る味のある質感のフィルム映画は格別です。よろしければ、お近くの名画座へもぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。



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