フィルムからフィルムまで #18
《ドラえもん のび太の日本誕生(1989)》

あらすじ

学校でも家でも叱られてばかりの野比のび太は、とうとう家出を決意した。ひみつ道具はちゃっかり借りて空き地に住みはじめたものの、すぐに追い出されてしまう。裏山も同じで、どんな土地にも持主はいるのだった。それならうんと大昔へ行こうと考えたのび太は、いつものメンバーとタイムマシンに乗りこみ、七万年前の日本へと向かう……。

※この連載では、冒頭シーンの描写もふくめて、あるていどストーリーの展開に触れています。あらかじめご了承ください。


おどろいたか。ぼくが風の精霊に命じて、きみを飛ばさせたんだぞよ。

 おなじみの、宇宙空間にしずかに浮かんでいる地球……。

 かと思いきや、よく観てみると、日本のかたちが、現在とはかなり異なっている。北端と南端が中国大陸と地つづきになっていて、日本全体がドアの取っ手のようにも見える。

 氷河期のために海面がうんと低く、海底の地形があらわになっていた、有史以前の地球のすがた。

 りっぱなニジマスたちが泳いでいる。水があまりにも澄んでいるので、宙に浮いているようにも見える。

 石槍をもった少年が川原へと駆けてきた。身につけているのは、素朴な腰みのとブーツのみ。

 狙いをつけてから、流れのなかへと石槍を投げつける――ニジマスの一匹に、みごとに命中。

 少年はまったくわからない言葉を発しつつ、起伏のある草原を、狩りの成功をからだいっぱいで喜びながら駆けぬけてゆく――と、前方の何かに気がつき、足を止める。

 すこし先の雑木林の向こうに、太い煙が何本も立ちのぼっている。

 慌てて駆けつけると、集落があったらしい焼け跡にはひとっこひとりいない。住居はことごとく焼け落ちてしまい、黒焦げの骨組みだけになっている。膝からくずおれ、けもののように慟哭する少年。

 ふいに、向かい風が発生した。がれきが一斉に吹き上げられる。叩きつけるような強風に、思わず腕で目をおおう少年。振り向いてみると、上空に、巨大な黒い穴が口を開けている。ほそい稲妻を絶えず放射しながら、地表にあるすべてを吸い込もうとしているかのようだ。

 逆方向へと逃げだす少年。台風に逆らうかのように必死で踏ん張ろうとするものの、あえなく宙に投げだされてしまい、さけび声とともにあっという間に深淵の奥へと呑みこまれてゆく。

 異空間に消えた少年の行方やいかに……。

 ふたたび、宇宙空間にしずかに浮かんでいる地球。

 ところが今度は、日本列島はおなじみのかたちを成しており、中国大陸とは海によって隔てられている。

 そこへ、こちらもおなじみな、未来からやってきたネコ型ロボットの助けをもとめて全力で泣きさけぶ声がこだまする。

 ……ドラえもーん!……

 「史上最大の家出」と称してタイムマシンでやってきた七万年前の日本で、のび太たちは、自分たちだけのパラダイスを建設しようとする。

 はてしなく広がる人跡未踏の地の上空をタケコプターで飛びながら、理想的なスポットを物色する。やがて日あたりのいい高台の斜面に目をつけると、岩を掘りすすめて洞窟型住居をこしらえる。食料のための畑や華やかな花畑を開墾し、ともだちとしてのペットも創る——新たな暮らしをこれ以上ないほどの“ゼロ地点”から始めようとする、一連のプロセスが魅力的だ。

 そのさいに大活躍するのはもちろん、ドラえもんの4次元ポケットからとり出される“ひみつ道具”の数々。

 見ためは原始人の衣だけれども、体表面の温度を調節できるので雪中でも過ごせる“エアコンスーツ”。

 どんなに硬い岩だろうとプリンのようにザクザク掘れる“らくらくシャベル”。

 ボンベに入れられた種を噴射してゆくだけで花園を造れる“花園ボンベ”。

 カレーやスパゲッティ、どら焼きやハンバーガーなど、各種料理の種をまいて実を育てておけばいつでも食べられる“畑のレストラン”。

 たまごにアンプル液を注入するだけで、さまざまな動物を生み出せる“動物の遺伝子アンプルとクローニングエッグ”。

 今作では、ドラえもんがシャーマン的な存在として原始人たちから崇拝されるのだけれども、こうして書き連ねてみるとたしかに、未来の科学技術でなければ魔術の類いとしか思えない。

 小学二年生のころまで『ドラえもん』はテレビアニメをほぼ毎週欠かさずに見ていたし、漫画もよく読んでいた。

 だれでも空想はしてみるものの実現は不可能だろうと諦めてしまうような夢がいともたやすく叶ってしまうところが快感だったのだな、とあらためて思う。しかも軽快なテンポで、ユニークなやりかたで。

 そして、遥か未来のテクノロジーなのに、ひみつ道具にはどれもアナログ感がある。竹とんぼや風呂敷などのモチーフが古風な趣きを感じさせるせいもあるけれども、「道具」と称されている通り、あくまでも人の手で使われる物になっているからだろう。

 だから使用法をかんちがいすれば笑いが生まれ、バッテリーが切れればピンチにおちいり、あまりにも便利すぎれば奪いあいが勃発し——そのつど、多彩なドラマが生まれる。完全に全自動では、お話にならないのだ。

 濃厚な昭和レトロ作品なのだな、とも再認識した(ジャイアンの実家が昔ながらの剛田「雑貨店」だったなんて、正直、はじめて気がついた)。こどもの時にはまったく意識せずに、自分の暮らしている現代が舞台なのだろう、と思っていたのだけれども。

 作中に籠められたメッセージも発見した。たとえばよく観ると、シーンのはじめに野比家や源家の外観を見せるカットでは、背景にはコントラストをなすように高層ビルが描きこんであったりする。再開発によって失われゆく風景への愛惜の念が感じられて、ぐっときた。

 後の世に見返された時に、だれかに気がついてもらえたら……そんな思いで描かれたのだろうか。だいぶ時が過ぎてしまったけれども、気がついた一人になれて、よかった。

《フィルムからフィルムまで #18『ドラえもん のび太の日本誕生』 了》



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