フィルムからフィルムまで #15
《月は上りぬ(1955)》
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あらすじ
浅井家の三女・節子は、二女・綾子、長女・千鶴、父の茂吉とともに、奈良の実家で穏やかな日々を送っていた。千鶴の亡夫の弟・安井昌二は、今でも一家と交流がある。ある日、彼の下宿する禅寺の離れに、親友の雨宮渉が訪ねてくる。渉はこどものころ会ったきりの綾子のことを、思いのほかよく記憶していて……。
※この連載では、冒頭シーンの描写もふくめて、あるていどストーリーの展開に触れています。あらかじめご了承ください。
お月さまって不思議なもんね——昔から、いく人仲よくこのお月さま見たかしら。
とある禅寺の門前。
幅のひろい石段の先、門の向こうには、白い衣に黒い袴をつけた僧がひしゃくを使って打ち水をしているのが小さく見える。
境内からは、威厳にみちた亡霊のように低くゆったりとした調子で斉唱をする男女の音声(おんじょう)が響いてくる。謡曲の、うたいの稽古をしているようだ。
中世から現代まで、数百年の隔たりをものともしない、古都の風習。
渡り廊下を進んだ先にある、庭に向けてきもちよく開けた一間。
書の掛軸を背にした上座には師匠と住職が座り、あとは中央の空間をとり囲むように、洋装もしくは和装の男女が居住まいを正して座っている。
みな見台に目を落としながら唱和していて、お互いを見ていない。それでも、右の手に軽く持っている扇子を畳に置いて、手本の頁を一枚めくり、ふたたび扇子を右の手にとる――一連の動作の呼吸が、ぴたりと合っている。
下座の角にいる女性・浅井節子が、近くにいる男性・安井昌二に、ちらりと目をやる。彼は気づかない。
渡り廊下をやってきた少年僧が、部屋の外で両手をついてお辞儀をしてから昌二のそばへといざり寄り、何かを畳に置き、立ち去ってゆく。彼が目をやる。
それは名刺だった。細かい文字で左下にまとめられた情報のほかには、雨宮渉、という名前のみ。肩書きも何も刷られておらず、さっぱりとしたものだ。
寺の勝手口を入ったところに、スーツ姿に革のかばんをもった、雨宮渉が立っている。上り口のところへ姿を見せる、着流し姿の昌二。やあ、と親しげに呼びかける渉。やあ、しばらく、と返す昌二。
ごきげんよう。
早かったなあ。
葉書、着いたかい。
ああ、もらった――まあ、上がれよ。
うん。(かばんを置いて上りがまちに腰かけ、革靴を脱ぎながら)今、浅井さんのお宅のほうに伺ったんだよ。
そうかい。このごろここの部屋、借りてるんだよ。上がれよ。
うん。
穏やかな日の射し込んでいる廊下を、雑談をしながら昌二の住んでいる離れへと歩いてゆく二人。
こうして旧交を温めたことが、昌二にとってはすでに親しい相手との縁を、渉にとってはずっと昔にゆるく結ばれた縁を、見直すきっかけになるのだった。
法隆寺、二月堂、三笠山――いにしえの息吹を二十一世紀においても感じられる奈良の各所を舞台に、旧知の仲の男女数組が、あらためて親しみ合ってゆく。
万葉集の和歌が登場するだけのことはあり、どのペアも愛情表現がとても遠回しで、もどかしい。そろいもそろって相手への思いを、いよいよ、という場面にたち至るまで明かそうとはしない。
若草山(=三笠山)まで昌二を呼びにきた節子が、芝の斜面を駆け上がっている時につまずいてしまい、昌二の座っているほうへ転んできても、彼は支えてあげずに立ち上がり、避けてしまう。部屋に二人きりの時にも、そばへ寄ってきた節子の顔に、いたずらっぽく煙草のけむりを吹きかけたりする。奥ゆかしいというよりはぶっきら棒で、好きな子にちょっかいを出しまくる小学生のようだ。一見快活な節子のほうも、肝心な一言は、けっきょく自分からは言い出せない。
綾子と渉も、相当なものだ。節子の画策によって、十五夜の晩に、奈良公園にある雪消(ゆきげ)の沢のほとりで待ち合わせることになった二人。並んで「三笠の山に出でし月」を眺めながら、「いい月ですね」と渉が言う。「ほんとにいいお月さま」と綾子が返す。そこから先が、なにも続かない。
夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳すように生徒に勧めた、という逸話を思い起こさせるようなやりとりだ。真偽は不明だそうだけれども、当時から流布していた漱石伝説なのだろうか。
その夜にどうやら気持ちを確かめ合えたらしい二人は、渉が帰京してからは、電報で思いを伝え合う。しかも「コンドイツキマスカ」とか「コイシユウゴザイマス」などではなく、「3755」「666」といったお互いにのみ理解できる数字の符牒によって。暗号もまた、いと奥ゆかしき伝達手段になりうる、というわけだ。
電報は今までに一度も送ったことはないし、受け取ったこともない。
友人・知人の披露宴か、『笑っていいとも!』の名物コーナーだったテレフォンショッキングの冒頭で、祝電が送られてくる様子を見たことがあるぐらいだ。
暗号を用いたことなら、たしかある。江戸川乱歩の少年探偵団シリーズに嵌っていた、こどものころに。放課後に校舎裏でこっそり落ち合おう、とか、次なる指示は、図書室のどこそこの本棚のあの本とあの本の間に挟んである、とか、たわいもない内容だったはずだ。
今どきは、暗号生成アプリなども、ありそうだけれども。しばらく会っていない知人に謎めいたメッセージをLINEで送ったら、おかしくなったと思われるだろうか。でも、海外とも瞬時に繋がれるからこそ逆に、「久しぶり、元気?」より意外性があって、受けるものなのかもしれない。
《フィルムからフィルムまで #15『月は上りぬ』 了》
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