フィルムからフィルムまで #12
《花は偽らず(1941)》

あらすじ

親戚が社長をつとめる会社で働いている舟木は、結婚相手として大阪の酒蔵の娘・假名子を紹介される。彼女の家は豊かで、当人も魅力あふれる女性。けれども舟木は同僚のタイピスト・純子と思い合っているために、煮えきらない態度をとる。そして相談相手である友人の城太郎と假名子とのあいだにも、じつは浅からぬ因縁があって……。

※この連載では、冒頭シーンの描写もふくめて、あるていどストーリーの展開に触れています。あらかじめご了承ください。


仕方がないわ――あなたっていう人は、電車に乗るのにも、いちばん後でしか乗れない人なんだから。

 煙突からけむりを吐き出しながら、蒸気機関車がレールの上をまっすぐに走っている。

 食堂車では、たっぷりの花を活けた細い花瓶の置かれているテーブル席に女性二人が向かいあって座っている。

 額縁のような車窓の向こうにそびえるまっしろな霊峰を眺めながら、着物すがたの母親がつぶやく。洗練された洋装の女性・假名子が、時おりティーカップのお茶を口にしながら返事をする。


 久しぶりの富士山やな。

 うん。でも、なぜこないに慌てて東京にいかんならんのかいな。ちっともわからんわ。

 でも、大野木のおばさまが、あないに来い来いゆうてくださるんやもん。遊びに行ってあげな、悪いやないか? おばさま、あんたがこないに綺麗にならはったで、きっとびっくりしなはるわ。


 じつは假名子の縁談のために大阪から上京しているのだけれども、母親は、そうはっきりとは知らせない。そして娘も、問いただそうとはしない。仲の良さそうな親子にも関わらず、一定の心理的距離感を保っている。


 石造りの重厚な建物が立ち並んでいる東京のオフィス街、そのなかの一室。

 タイピストの純子から伝言されて社長室へとおもむいた舟木は、出張の準備についての確認をされたあとで、親戚でもある社長から、家での夕食に招かれる。――君に、紹介したい人が来てるんだ。


 どなたですか?

 まあそりゃあ、行けばわかるさ。俺はちょっと用で遅くなるから、頼むよ。 


 退社時刻になった。

 入口から出てきては、左右に分かれて家路へつく社員たち。

 おなじタイピストである同僚の女性・丸山と並んで歩いている純子の背中に、船木が声をかける。ふたりして振り返り、会釈をする。遠慮するように、すこし距離をとる丸山。


 お急ぎですか。

 いいえ。

 じゃあ、お茶でも飲んで行きませんか。

 はあ……。(ためらいがちに丸山をちらと見る。察した船木が声をかける)

 丸山さんも、ご一緒にどうですか。

 (よそを向いてうつむいていた顔を上げると、笑顔で)ええ……でもあたくし、ちょっと急ぎますから。

 (純子、丸山に近づいて)まあ……よろしいじゃないの?

 でもあたくし……ご遠慮するわ。

 (そばに寄り、右腕をとって)なぜ?

 なぜって……。


 いいづらそうにする丸山。微笑みながら純子の手をそっとのけると、背を向けて駆けだしていってしまう。すぐそばの橋を渡りかけたところで振り返り、はっきりとお辞儀をすると、コートに手を突っこんだまま急ぎ足で歩き去ってゆく。


 知人・友人・親戚・親子。

 どの間柄においてもあくまでも一定の節度が保たれたまま、淡々と、おのおのの伴侶の選択にまつわるドラマは進行してゆくのだった。


 奥ゆかしい、というしばらく忘れていた言葉が浮かんでくるような映画だ。

 基本的には女性への褒め言葉なのだろうけれども、言葉づかいや態度に品性や思いやりを感じられるという意味で、ここでは性別に関係なく使ってみたい。

 主要人物たちの物腰や話しかたはつねに丁寧で、真意を問いただすような場面でも声を荒げることはなく、相手の思いを尊重しつつ、言葉を選びながらじっくりと話す。映画そのもののテンポもゆったりとしていて、観ているとなんだか縁側に座って庭を眺めながら、お茶でも飲んでいるような感覚になる。


 とはいえ、もちろん、奥ゆかしさも裏を返せばハッキリしないもどかしさに変わるし、的はずれな思いやりは、誤解やすれ違いを生じさせる。

 舟木は、親戚から紹介された假名子にも惹かれてしまったがために同僚の純子に煮えきらない態度をとり、親戚への返事も渋っているうちに、両者をやきもきさせてしまう。

 純子のほうも、おなじ部屋で働いているのにもかかわらず舟木に直接問いただせずに、思いを手紙に託して伝えようとしたりする。

 良家のお嬢さまである假名子の態度も、どこかもやもやしている。母から舟木はお相手としてどうかと問われると、急に訊かれても何といえばいいのかわからないと応じつつも、お母さんに任す、と返事をする。そして母親はそれを、承知した、と解釈する。交際してみるどころか一度しか会わないのに結婚を決めてしまおうとすることにも、驚かされるけれども。

 やわらかくて、ていねいで、まわりくどくて、どっちつかずで――まるで日本語そのものの性質を体現しているかのような、人間関係のありかたにも見える。


 面と向かってはっきりいう代わりに、相手の机のうえに本気の置き手紙を残す――そういうことをした覚えはないけれども、メールやショートメッセージをきちんと書いて思いを伝えようとするのも、似たような行為なのかもしれない。

 なかなか決心がつかないから、しばらくこっちからは誘わないでおこう。

 具体的には示せないけれどもどうか、この遠回しに書きつづった文面の端々からお察しください。

 優柔不断や忖度は、いまの日本にも息づいている。

《フィルムからフィルムまで #12『花は偽らず』 了》



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