平成おとぎ草子
第4話 ものぐさ亮二、いろいろ食べなさい

まえがき 童心に、なってみませんか。

 『平成おとぎ草子』は、1990年代の東京の下町を舞台に、「浦島太郎」「桃太郎」「舌切り雀」などのおなじみのおとぎ話からテーマをとりつつ、おなじ主人公・世界観をベースに自由な解釈でリメイクしてゆく連作シリーズです。こども時代という人生の物語の原点と、日本の物語の原点をかけ合わせてみよう、という試みです。 

 執筆していてあらためて感じたのですが、平成になって間もないころには、まだまだ昭和の名残りが濃厚でした。 

 黒電話やブラウン管テレビ、木目がひとの顔に見える天井。 

 そんな昭和の夕焼けのような世界に、確実に令和の現代へとつながる要素が出現してくる。90年代とは、そういう時代だったのでしょう。 

 むかしの日本といまの日本の、橋渡し役をになっていた時代。 

 世知がらい現在ただいまから少しむかしへとこころを遊ばせてみて、ゆっくりと作品世界に浸っていただけたらうれしく思います。 

 おとぎ話の語り直しは、これまでにも多くの作家が試みてきました。 浦島太郎ひとつをとっても、江戸時代から近・現代にかけて、近松門左衛門、森鷗外、島崎藤村、太宰治らが、それぞれの解釈による表現をおこなっている。 

 そういった歴史もふまえつつ、令和の時代にひっそりと生きるいち物書きが新たな作例をつけ加えてみるのも、なかなか愉快なことではないか。そう思いつつ書き進めています。 

参考文献 

河合隼雄『昔話と日本人の心』岩波現代文庫、二〇〇二年。 


*この物語はフィクションです。登場人物は主人公もふくめて、すべて架空の存在です。 

*どの回も一話完結式ですが、第1話から順にお読みいただくとすべての繋がりがわかって、より一層お楽しみいただけます。


ものぐさ亮二、いろいろ食べなさい

 銀座でめし食うのなんて、初めてだよ。夜になったばかりの外の様子を眺めながら、亮二がつぶやいた。

 窓ガラスのむこうの歩道をゆきかう人々はみな、自分が今どこで何をしているのかを、はっきりと自覚しているかのように見える。秋の終わりの重くも軽くもない装いで、それぞれがそれぞれの銀座を過ごしている。上質さの象徴のような乗用車が、滑らかに通りすぎてゆく。

 前菜がわりのチーズ入りパンが美味しくて、つい赤ワインが進む。仕事の〆切まで根をつめるために断酒をしていたせいもあり、開放しきった心身に、酔いが沁みわたってゆく。いかんいかん、抑えねば。まっさらなクロスにグラスを置き、唇のあとを拭きとって、水を口にする。

 ……そうなの? いくらでも、機会がありそうだけど。

 人づきあい、苦手だろ。断わりまくってるんだよ。こっちに帰ってくると先輩や関係者から、けっこう誘われるんだけど。

 みんな、羽目を外してそうだもんね。

 人によるよ。おれたちの世代あたりからは、真面目なやつも多いし。じつは今夜もOBから誘われてたんだけどさ、先約があるんで、って逃げてきた。あのおっさん苦手だから、助かったよ。

 なんで?

 (眉根をよせて、頬を軽くかいて)ひたすら説教と、自慢話しかしねえ。どうせならライターの人に喋って、自叙伝でも書いてもらえばいいんだよな。そうすれば被害者が減るだろ。

 そういう人だと、今度はその本を見せびらかして回るんじゃないの?


 ふたりして、あけっぴろげに笑い合う。

 それをきっかけに、かしこまった店で感じていた緊張が、ほどよくほぐれた。


 (ワインを飲みながら)なるほどね、わたしは口実かい。

 先約だよ、先約——それにしても冴えてるよな、おまえって。なんでちょうど予定が空いてるところに連絡してくるんだ?

 べつに、仕事を納めて暇だったし、なんとなく。帰ってきてるんだろうなと思ってさ。そんなに感謝してるなら、奢ってよ。

 (返事は聞かなくても判っている、という風に)いいのか?

 ……やめとく。フェアな関係性が、崩れちゃうからね。


 飲食をする時の亮二のしぐさは独特だ。無造作にみえて、作法のつぼは押さえている。信長が茶席でふるまうように、と喩えてみたくもなるような。大きな右手でワイングラスの脚をつまむと、すこしも気取らずに、まっすぐに飲む。胴体をつかんで湯呑みのように飲んでも、様になりそうだ。

 黒いシャツの袖をまくった目の前の姿に、着物姿のイメージが重なってくる。

 いかんいかん。イタリアンレストランが、蕎麦屋と化してしまう。

 そう――この場所には以前、だし巻き卵が名物の蕎麦屋さんがあって、祖母に連れられてなんべんか訪れたことがあった。蕎麦屋の前には、何があったのだろう。文明開花の昔から、栄枯盛衰のドラマがくり返されている土地。

 亮二はワインを飲み干してしまうと、ウェイターを呼びとめ、おすすめを訊ねながら二杯目を注文した。少し残しておいて待っている間にちびちび飲もう、という発想は浮かばないのだろう。

 ふと周りをみると、他のテーブルもかなり埋まってきている。


 この一本となりの通りにさ、おばあちゃんのお店があったんだよね。

 おばあちゃんって、あの、おまえの師匠の?

 そう。

 柴又だろ、住んでたの。

 話したことなかったか。あのひと、もともと銀座で骨董屋をやってたの、桐原古美術店、っていう。わたしが小さいときに商売を畳んで、柴又に移ってきて。息子夫婦が、となり町の古井和に住んでたから。

 いつも粋な感じですっとしてたけど、なるほどな。引退したら都心から離れて、のんびり過ごしたくなったのかね。

 そうでもなかったよ、にぎわいが好きな人だったから。銀座はもちろん、浅草や上野にもよく連れていかれたし。このあたりの気風はどこを切っても金太郎あめだよ、ってよく話してたな。

 ん、どういう意味だ?

 もともとは銀座も、江戸っ子かたぎなんだって。舶来品の店は昔から多かったけど、それもど真ん中の話だからね。地元の人は、ブランドショップに住んでるわけじゃないし。

 (初めて思いあたったかのように)たしかに。新橋・有楽町はすぐとなりだし、築地あたりなんて、はっきり下町だよな。

 民家の前に鉢植えが並んでいたり、ひと棟の長屋に、飲み屋さんがいくつも入っていたり。

 (ウェイターに軽く会釈をしながら)ほっとするよな、そういう風景は。


 亮二のグラスに、ボトルの口から赤ワインが注がれた。

 ほどなくして、パスタが運ばれてきた。

 わたしはクリームソースのカルボナーラ、亮二はトマトソースのボロネーゼ。

 ウェイターがテーブルを離れたと見るや、さっそく、新鮮なアスパラガスの載っているセットのサラダの小皿を回してくる。置き間違えられたからのように、自然に。さらにパスタにあしらわれているミニトマトをフォークとスプーンを使い、無駄のない動作で、次から次へと移してくる。

 彼は昔から、ものを粗雑にとりあつかわない。先人が発明し、長きにわたって使用されてきた道具に敬意を表しているようにも見える。まあ、そこまで考えてはいないだろうけれども。

 生野菜が増量されるであろうことを考慮せずにパンを食べすぎたことへの、後悔の念がわいてきた。苦笑いしつつ、ほとんどお約束になっている悪態をつく。


 ……ふざけんなよ、まじで。

 頼む時にサラダを断るの、忘れてた。腹は満たされるし健康にもいいし、一石二鳥だろ?

 そう思うんなら、自分で食べろよ。(フォークをとり、一皿目のサラダに手をつけながら)トマトはだめでトマトソースはあり、っていう感覚が解らない。

 全然、違うだろ。生々しい風味が、口のなか一杯に広がるところが。

 爽やかでいいじゃん。

 なんていうか……過剰、なんだよな。元気ハツラツすぎる俳優、みたいな。

 (返すべき言葉が見あたらず)そういや、給食のミニトマトも、せっせと周りの子に配ってたよね。まるで進歩がない。

 (スパゲッティを器用にほぐし、巻きとってゆきながら)初志貫徹、と言ってくれよ。