フィルムからフィルムまで #7
《波の塔(1960)》

あらすじ

渋谷・松濤の邸宅で使用人とともに優雅な生活を送っている結城頼子はしかし、夫との関係に悩んでいた。ある日、観劇のさいに気分が悪くなり、隣席の青年に介抱してもらう。そうして知り合った考古学を愛する新任検事の小野木喬夫と、素性を隠したまま逢瀬を重ねてゆく頼子。ところが、彼の担当する汚職事件に夫が絡んでいるらしいことが判ってきて……。(原作:松本清張)

※この連載では、冒頭シーンの描写もふくめて、あるていどストーリーの展開に触れています。あらかじめご了承ください。


なにもかも破壊して突き進みたい心と、それを抑える心とが、わたくしの体の中で戦っているのです。

 まだまだ現役ですよ、といったようすのSL列車が、上諏訪駅のホームへ入ってきた。

 駅の入口から若い女性が出てきた。エメラルドブルーのワンピースに真珠のネックレスをつけ、黒のハンドバッグと赤いチェックの紙袋を持っている。そこへスーツ姿の男性が三人、待ちかまえていたかのように駆け寄ってくる。


 失礼ですが、田沢局長のお嬢様でございましょうか。

 はい、田沢ですけど。

 わたくし県の総務課の、大町でございます。局長さんには日頃から、お世話になっております。


 差しだされた名刺を困惑げに受けとる田沢輪香子。さ、お持ちいたしましょう、と紙袋をとりあげる部下らしき男性。ささ、どうぞお車へ、ともう一人。何ともあけすけな歓迎ぶりだ。
 夏の陽光に照らされた諏訪湖を一望できる、旅館の一室。

 窓外の風景について、まるで観光ガイドのように説明する大町。さらに車での案内を申し出られるも、これ以上はたまらない、とばかりに辞退する輪香子。お忙しいのにそんなことまで……。ところが彼らは引こうとしない。でも、局長からご依頼を受けておりますので。万一お嬢様に不都合でもございますと、お父様に申し訳ございませんから。じゃあ、下でお待ちしていますから。

 ようやく三人が出てゆくと、ため息をひとつ。


 結局、ひとりでやってきたらしい。

 湖畔の草地で大きく伸びをする――と、そばにある藁葺きの住居に目をとめる。立札によると、縄文時代の遺跡のようだ。

 好奇心に駆られたのか、せまい入口をくぐって薄暗い内部へと降りてゆく。なかのようすを眺めていると、奥の暗がりで、むくりと影が起きた。悲鳴を上げる輪香子。


 (のっそりと立ち上がり、頭をおさえながら)どうも、失礼。……きのう東京から出てきて、ここで寝ていたんです。びっくりなさったでしょう。

 思いのほか、礼儀正しい青年だ。ラフなカーキのハーフジャケットに、ベージュのハットをかぶっている。


 まあ、昨日から。

 ええ。あなたも、考古学の御勉強ですか。

 いいえ、ただ覗きに来たんです。ここ……考古学の何か?

 古代人が住んでいたところなんです。(足元を示しながら)これが、炉の跡ですね。ここで獣の肉や魚を焼いて、家族で歓談したんでしょう。

 お休みのたびに、こんなところに寝にいらっしゃいますの?

 ええ、古代人の生活が、なんとなく好きなんです。(壁にかけられた遺跡の写真を見ながら)本当の意味での自由とか開放感が、古代にはあったんですね。……とにかく、表に出ましょうか。


 舗装されていない湖畔の道を歩きながら話している二人。

 地面に落ちた樹影は濃く、ツクツクボウシがしきりに鳴いている。


 あそこで寝ているとね、妙な錯覚を起こすんですよ――つまり、僕は家族の一員でね。みんな狩猟に出払って、僕だけが留守番しているような。

 ふふふ。古代人の生活に惹かれるのは、現代の都会生活が退屈になったからですか?

 (タクシーの手前で立ち止まり、振り返る)そう、言えるかもしれませんね。

 (相槌を打ってから彼を追い越し、タクシーのところへ行って)お乗りになりません? 上諏訪へいらっしゃるなら。

 ありがとう。でも、方向が違いますから。

 そう。(乗り込もうとして、また青年のほうを向く)残念ですわ。もう少しお話、伺いたかったのに。

 (帽子をとって)じゃあ、ごきげんよう。失礼しました。

 さようなら、お気をつけて。


 窓から手を振る輪香子を乗せて、空色のタクシーが走り去ってゆく。

 その場に残り、諏訪湖を眺めながら煙草をくゆらせる青年・小野木。この前途洋々たる新任の検事は、やがてみずからを襲う嵐のような運命をまだ知らない――。


 人間の内側からやってくる、本能に根差した強烈な誘惑。

 自然現象の引き起こす、圧倒的な破壊力。

 二つの原初的エネルギーが目に見える姿でぶつかり合いながら、今作の物語はマイナスの方向へと突き進んでゆく。

 それをまさに象徴しているのが、大水が危ぶまれるほどの嵐の夜、温泉宿の一室において、蝋燭の灯りで頼子が喬夫に夫のことを告白する場面からはじまり、宿から二人で飛び出して、動いている列車のあるらしい離れた駅を目指して激しい風雨のなかを歩いてゆき、ようやく逃げ込んだ小屋のなか、焚火の炎で喬夫が頼子に決意表明をするまでの一連のシーンだ。

 今この瞬間、まったくのゼロになってしまえたら――。

 破滅を夢みることから生じてくる、奇妙な癒しの感覚。

 いつでもぴったりと背中合わせな、光と闇。


 佐賀県の吉野ヶ里歴史公園は、弥生時代の環濠集落がまるで巨大なオープンセットのように再現されていておもしろい。あちこちにある竪穴式住居のなかで、自由に食事ができるようにもなっている。

 カメラを向けてフレーミングしてみると、本当に古代から変わっていない風景であるかのような錯覚をおぼえる。現代の日本にもまだ、直にいにしえと繋がれる場所が存在しているのだ。

 ちなみにレストランのメニューも充実していて、個人的には、有明産のアサリがたっぷり入った古代貝汁御膳がおすすめです。

《フィルムからフィルムまで #7『波の塔』 了》



 この連載についてご説明している記事はこちら

  ※上のテキストをクリックすると新しいタブで開きます