フィルムからフィルムまで #9
《キネマの天地(1986)》
あらすじ
1930年代、映画街のあったころの浅草。活動写真館(映画館)のひとつ・帝国館で売り子をしていた田中小春は、松竹の小倉監督から声をかけられて、役者になるべく蒲田の撮影所を訪れる。初出演シーンではいきなり泣きの演技をするなど、才能の片鱗をみせる。病を抱えた元役者の父に激励されながら、スターへの階段を上りはじめるのだが……。
※この連載では、冒頭シーンの描写もふくめて、あるていどストーリーの展開に触れています。あらかじめご了承ください。
たったひとことの台詞を笑うようじゃ……ま、ろくな役者にゃなれねえなあ。
昭和のはじめごろの、浅草の映画街。
大通りの両側にずらりと並んでいる、活動写真館(映画館)。
各館の正面にかかげられた色鮮やかなのぼりや絵看板を見上げながら、さまざまな装いのひとびとが歩いている。
着流しすがたに鳥打帽をかぶった男性。モダンな着物の女性たち。ごひいき筋を連れた相撲とり。往来で唐突に敬礼しあう軍人たち。学生仲間。真剣に相談をしながら入場料を払っているこどもたち。
活動写真(映画)が、押しも押されもしない娯楽の王様だったころの風景。
それら活動写真館のうちの一つ、帝国館。
開映前の場内では、大きな竹編みのカゴをもった売り子の田中小春が、よく通る声で「えーおせんにキャラメル、あんぱんにラムネ」と売り歩いている。
すぐそばの客席から、若い男がふざけた調子で声をかける。
おねえちゃん、名前なんちゅうの?
(少しあきれたように)あんた活動を見にくんの、それともあたしの顔を見にくんの?
(べつの男が)おまえのツラに決まってるわよん!
周囲からどっと笑い声が起こる。
まともにはとり合わずに、笑顔で仕事をつづける小春。
またべつの男が、後ろから声をかける。
おねえちゃん、かわいいよっ!
ふたたび笑いが起きても、われ関せず、と聞き流す。
これぐらいは日常茶飯事ということなのだろうか。芯の強さや、人目を自然に惹きつけるような雰囲気を備えているらしい。
まさかもうすぐ、自分が役者として銀幕(スクリーン)の向こうがわへ行くことになろうとは、想像もしていない彼女なのだった。
日本の映画史において伝説的な存在になっている、このころ黄金期を迎えていた松竹・蒲田撮影所が建物や敷地ごと再現されていて、あたかも当時にタイムスリップして、所内を自由に見学させてもらっているかのような気分になれる。
そして、華やかに見える世界もその裏側は……の定石どおり、コミカルな要素を交えたフィクションとはいえ、当時の映画業界の内情も相当なものだったんだろうな、ということを窺わせるエピソードも、いくつも盛りこまれている。
熱くなっている監督・スタッフ・俳優のあいだのいざこざは当たりまえ、撮影が終われば人気俳優はオープンカーで横浜の酒場へとくりだしてゆく――良くも悪くも、あけすけな活気に満ちあふれた世界。
そこへ飛びこむことになったヒロインの田中小春は、大部屋俳優の一人からスタートして、庶民出身のスターへの階段を、かなりの早さで駆け上がってゆく。
演技というものの困難さが、素人にもわかりやすく表現された映画でもある。
ある名監督の撮影現場で、鰻屋の女中を演じている小春。
座敷のふすまを開けて、客の顔を見て、いらっしゃいませ、といってお辞儀をしてから中へと入り、ふすまを閉める。
たったワンカットの演技に監督のOKが出るまで、丸一日もかかってしまう。
ふすまを開けて客の顔をみたら、自然に表情がほころばなければならない。
台詞で説明しなくても、常連客なんだな、と観客にわかってもらうために。
こういった完成品が仕上がるまでの演出や演技へのこだわりを知ると、自分の好きな映画も、あらためて見返してみたくなる。
デジタル撮影やCGがあたりまえになった現代の映画界でも、台本を暗記して演出をふまえた演技をする、という役者の苦労は変わっていないのだろう。
演技はやったことがないけれども、放送委員だった中学生のとき、学芸会でも音響係をつとめたことがある。
カセットテープに録音された曲の頭出しをしておいて、タイミングを合わせて再生ボタンを押す――それだけの役割なのに、自分が指を動かすだけで体育館に大音量が響きわたるのだと思うと、本番ではかなり緊張したことを覚えている。
映画づくりはシビアな世界だな、とあらためて思いつつも、いつも一人で延々と読んだり書いたりするのが基本の生活を送っている人間からすると、しばしば派手にやりあいながらも、チームとして一つのプロジェクトを成し遂げるために夢中になっているようすが、羨ましくも感じられた。
《フィルムからフィルムまで #9『キネマの天地』 了》
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