フィルムからフィルムまで #10
《好人好日(1961)》
あらすじ
尾関登紀子は、奈良の実家で両親と暮らしている。つとめ先の市役所に結婚したい同僚がいるものの、世界的な数学者である父の気に入るかどうかが心配。というのも数学以外にはまるで無頓着で、奇妙なふるまいや言動も多く、世間からは変わり者あつかいされているのだ。さらに彼女には、相手方にたいして気がかりな自分の過去もあって……。
※この連載では、冒頭シーンの描写もふくめて、あるていどストーリーの展開に触れています。あらかじめご了承ください。
数学は人間の心の表現だ、ってお父さんはいいますけど、数学でわたしの心がわかりますか?
青空を背景にしてそびえている五重の塔。
おあつらえむきに梵鐘がぼぉんと、あたりに沁みわたるように鳴りひびく。
奈良時代です、とも令和時代です、ともいえるような、昭和時代の風景。
一転して、薄暗い本堂の内部。
鎮座している大仏の顔が、射しこんだ陽光を浴びてあかるくなる。
眠りから覚めた、という風ではない。
表情はまったく変化しない。
超脱したまま、微動だにしていない。
大仏っつぁん、どうかわたしの願いを聞いてください。
とても気安く話しかける声が、凛とした空気をうちやぶる。
今もちあがっている縁談で、わたしは幸せになれるのでしょうか――女の子は結婚するのがいちばん幸せだ、といい聞かせてくる母のこと、数学以外のことはまるでわからない、風変わりな父のこと。誰もいないのをいいことに、遠慮するそぶりがまるでない。
えへん。
咳ばらいのしたほうを見ると、白衣に袴すがたで箒をもった小坊主がいる。
お静かに、とでもいいたげな表情をしてから、立ち去った。
……もう一つお願いがあります、大仏っつぁん。欲張っててごめんなさい?
さらにずいっと近寄ると、追加の願いごとを訴える――あなたは何もかもご存知だと思いますけど、今の両親は、本当のお父さんやお母さんじゃありません。
戦災のために、彼女は小さいころ、実の両親と離れ離れになってしまっていた。育ててくれた今の両親は大好きだけれども、どういうひとたちなのか、名前が知りたい、顔も見てみたい。前向きな声音に、切実さが籠っている。
はたして、お願いごとは叶うのか?
結末は、映画づくりにおける大仏っつぁんの、作り手たちに委ねられている。
ゆったりとした時間の流れている奈良の街を舞台に、世界的な数学者を父にもつ娘と、江戸時代創業の墨屋の息子との結婚話をめぐるごたごたが、コミカルに描かれてゆく。
このころの邦画には、親に押しつけられた縁談から逃げだしたり、一目惚れの相手にむかしからの許嫁がいることが判明したり、というような設定がよくあるのだけれども、今作のカップルは相思相愛で、ふたりの関係はそれほど困難には直面しない。
その代わりに、といってはなんだけれども、さまざまな奇行や問題発言によって周囲を振り回すのは、奈良の大学で数学教授をしている登紀子の父親だ。
効率的だから、ということなのか、大学へゆく背広すがたのまま布団の上に腹ばいになってノートに数式を書いているし、雨の日も晴れの日も雨靴をはいている。酔っぱらうのも面倒なのか酒も口にせず、のんべえなのは奥さんのほうだ。
趣味はといえば、近所のミルクホールで珈琲を飲みながらテレビの野球中継を見るくらい。ところがポータブルテレビをもらっても、いらない、とつっ返してしまい、かと思えば自分ではウサギをもらってくる。逃げだしたウサギは探しにゆくのに、泥棒に盗られた文化勲章にはあまりこだわらず、かたっ苦しい祝賀会からは逃げだして行方知れずになってしまう。
協調を重んじる社会で浮きまくる、純粋無邪気すぎる大人。とても正直なひとには違いないし、一つの分野を極めてゆくのには向いているのだろうけれども。
奇行の部分を強調したのでフォローしておくと、長年支えてくれた奥さんへの感謝をきちんと表現したり、娘の幸せを心配したりと、よき家庭人としての顔も持っている方です。まあ娘を思いやったつもりの発言がまた、相当デリカシーを欠いていたりするのだけれども。
奈良を初めて訪れたのは、修学旅行のときだった。
それから何度も訪れたけれども、奈良公園の鹿たちも、興福寺の五重の塔も、この映画に写されている様子と変わらないように見えた。
とはいえ、1961年の公開である今作にもすでに、高速道路建設計画のうわさを聞きつけた奈良市民が市役所まで文句をつけにくるシーンがあった。東京ほどではないにせよ、高度経済成長にともなう再開発はこのころの古都でも行われていたんだよな……と、令和時代の再開発によってさらに変貌してゆくであろう日本の未来の都市景観にも、思いを致さざるを得なかった。
《フィルムからフィルムまで #10『好人好日』 了》
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