平成おとぎ草子
第5話 不敵なやつほどカチカチ鳴らす

まえがき 童心に、なってみませんか。

 『平成おとぎ草子』は、1990年代の東京の下町を舞台に、「浦島太郎」「桃太郎」「舌切り雀」などのおなじみのおとぎ話からテーマをとりつつ、おなじ主人公・世界観をベースに自由な解釈でリメイクしてゆく連作シリーズです。こども時代という人生の物語の原点と、日本の物語の原点をかけ合わせてみよう、という試みです。 

 執筆していてあらためて感じたのですが、平成になって間もないころには、まだまだ昭和の名残りが濃厚でした。 

 黒電話やブラウン管テレビ、木目がひとの顔に見える天井。 

 そんな昭和の夕焼けのような世界に、確実に令和の現代へとつながる要素が出現してくる。90年代とは、そういう時代だったのでしょう。 

 むかしの日本といまの日本の、橋渡し役をになっていた時代。 

 世知がらい現在ただいまから少しむかしへとこころを遊ばせてみて、ゆっくりと作品世界に浸っていただけたらうれしく思います。 

 おとぎ話の語り直しは、これまでにも多くの作家が試みてきました。 浦島太郎ひとつをとっても、江戸時代から近・現代にかけて、近松門左衛門、森鷗外、島崎藤村、太宰治らが、それぞれの解釈による表現をおこなっている。 

 そういった歴史もふまえつつ、令和の時代にひっそりと生きるいち物書きが新たな作例をつけ加えてみるのも、なかなか愉快なことではないか。そう思いつつ書き進めています。 

参考文献 

河合隼雄『昔話と日本人の心』岩波現代文庫、二〇〇二年。 


*この物語はフィクションです。登場人物は主人公もふくめて、すべて架空の存在です。 

*どの回も一話完結式ですが、第1話から順にお読みいただくとすべての繋がりがわかって、より一層お楽しみいただけます。


不敵なやつほどカチカチ鳴らす

 四百万円。

 特殊なインキで刷られた紙幣を百枚、ぴたりと重ね合わせ、まっしろな帯紙でたばねたものが、四束。

 一九八四年までは、聖徳太子が四百名。

 二〇二四年までは、福沢諭吉が四百名。

 こどものころ心に刻まれた、わたしにとっての「大金」の基準。

 カッ、チン。カッ、チン。カッ、チン。カッ、チン。

 談笑のざわめきを貫いて聞こえてくる金属音。

 炎の渦にまかれて燃え上がる歴史的建造物を背負いこんだ、憎たらしい背中。

 真冬になりたての上野の街なかを、全力疾走している感覚。


 ――これ、四百万円。


 たかちゃんは、右の握りこぶしを目のまえに突きだして、新しい指輪を見せつけてきた。四百万円パンチ、みたいなジェスチャーで。

 温かいおしぼりでぬくめた少し赤い人さし指につけている、ゴールドのリング。台座にはめこまれた楕円形の石。渋いひすい色の濃淡のグラデーションが、機械で定めたみたいに均等。それを真っ二つにするように、まっしろな裂け目が上から下へと走っている。彼女の着ているだいだい色のセーターとあいまって、夕焼けの野原のなかの一本道みたいだな、と思ったことを憶えている。


 キャッツアイ、っていうんだって。叔父さんが仕事でスリランカに行った時、おみやげに買ってきてくれたんだ。

 キャッツアイ――猫の目、ってことか。たしかに似てるかも。

 そうか、キャットのアイだからキャッツアイか。さっすがルミちゃん。


 たかちゃんは、学校の衛生検査に逆らって伸ばしている爪のさきで石の表面をカチカチとつつき、すぐに親指でぬぐった。たった今の行為を、なかったことにするかのように。

 はいお待ちどうさま、と店員のおばさんが、チョコレートパフェと、ホットケーキと、二人分のホットティーを、シルバーのお盆にのせて運んできた。古びた木のテーブルに次から次へとてきとうに置いてから会計伝票を裏返して置き、どうぞごゆっくり、と立ち去った。どうも気になってしまうので、注文の品々のレイアウトをきちんと整えなおす。

 目のまえのホットケーキは二段重ね。四角いバターはもうだいぶ溶けて、きつね色の生地に染みこんでいる。向かいにそびえるパフェは生クリームがこれでもかと盛り上げられており、バナナを添えた上からチョコレートシロップがかけられて、ロボットの頭のアンテナみたいにポッキーが二本、突き刺さっている。まっしろなティーカップからたちのぼる湯気に、ほっとする。

 冬のとば口、十二月のはじめの日曜日だった。二人して、JR上野駅の不忍口からでてひろい交差点を渡り、老若男女のワイルドな賑わいのなかを特にあてもなくうろうろと、アメヤ横丁界隈のあちこちの店をひやかしながら歩いてきて、寒さと空腹にやられて避難した、JR御徒町駅ちかくの雑居ビル街のあたりに数年前まであった喫茶店。

 きっかけは前日の、ちょっとした会話だった。お昼まえにすぱっと授業が終わった土曜の学校からの帰り道、喋りながら歩いていたらふいにたかちゃんが、路地の方を向いてしゃがみこんだ。

 のそのそと現れた野良猫にからもうとするも、つれなくされる。灰色の尻尾を振るともなく振りながら歩き去ってゆく後ろ姿を眺めながら、小学校生活ももうすぐ終わりかあ、とつぶやいた。それから何か思いついたかのようにサッと立ち上がり、こう言ってきた。


 ねえ、なんかさ、記念になることをやっとかない?

 たとえば?

 わかんないけど、なんかこう、血湧き肉躍るような冒険をしたいね。

 ……すごい言いかただね。ジャングルか、サバンナに行かなきゃいけなそう。

 (笑い合ってから)悠太がそう言ってたんだよね、《スペランカー》をピコピコやりながら。

 ははは、まあスリルあるよね、あれは。ちょっと落っこちただけで、すぐ死んじゃうし。

 でもファミコンで冒険気分、はいやだなー。


 とりあえず明日、どっか行こうか――というわけで、上野へやって来たのだった。そのころのわたしたちにとっての、もっとも身近な遠征先。許可が得やすいし(動物園もあるから家族づれが多くて安心でしょ、と、認識の大ざっぱなうちの母親は言っていた)、京成線なら、地元駅から一本で行けるし。

 あかるい曇りの空だった。街も人も、まだ冬という季節に慣れていないようすで、賑わい全体がどことなく張りつめていたのを憶えている。

 たかちゃんはパフェに手をつけるまえに、指輪をはずした。今に至るまでつづいている彼女の習慣。目でも存分に味わうためには、指の飾りはいらないのだとか。テーブルの隅にかちりと置き、よっしゃあ、と両手をすり合わせる。

 いただきまぁす、とどちらからともなく声をあげ、至福の時間に突入。

 空腹に急かされて、ナイフ・フォークをつかむ。くずれたい時こそお行儀よくしな、と甦ってくる祖母の声。わかってるって、と心のなかで反論しつつもバターをさっさと生地に塗りたくり、ざくりとナイフをさし入れる。とにかく一口食べたくて、二段まとめて八分の一だけを切り分けてシロップをかけ、口へ放りこむ——現実の味は、想像の味をかるく超えてきた。

 しばらく夢中で食べた。残り半分までくるとようやく落ちついて、モスグリーンの椅子の背中にもたれる。深いため息をつく。まぶたが閉じてくる。

 カッ、チン。カッ、チン。カッ、チン。カッ、チン。

 談笑でにぎわう店内とは異なる世界で鳴っているような無機質な音が、左の方から聞こえてくる。

 見ると、白い壁ぎわの席に座っている男が、ジッポライターのふたを一定のテンポで開け閉めしている。いったん気づくと、いやに耳につく。

 その時はうんと年上に見えたけれども、二十歳よりは下だったと思う。羽織っている黒いスカジャンに負けないくらいまっ黒な頭髪を、高さを出してまとめている。表情のない横顔。周囲には無関心なようで、どことなく耳をそばだてているような雰囲気もある。

 こちらを向いた。目が合ってしまい、慌てて顔をそらす。

 何も見なかったつもりで、ホットケーキの残りに集中する。

 おすそ分けし合いつつ、綺麗に平らげた。

 あー生き返った、と椅子の背中にもたれて、たかちゃんが言う。生クリーム、大盛りにできないのかな……まあ元から大盛りっぽいから、ドカ盛り? わたしも、もう一枚いけるかも……もっと味わって食べればよかった、っていつも後から思う。

 紅茶を飲みながら、きのう返ってきたテストの結果について話していると、たかちゃんのショルダーバッグから振動音がした。ポケットベルをとりだし、メッセージを見る。財布に十円玉があるか確かめる。ちょっと家に電話してくるね、と席を立ち、レジの脇にあるサーモンピンクの公衆電話まで歩いてゆく。六年生当時、ポケベル持ちの知り合いは彼女だけだった。鍵っ子ならぬベルっ子。

 手持ちぶさたなので、バッグがないのについ買ってしまった漫画を開封してみることにした。コートのポケットから紙袋をとりだし、破かないようにセロテープをはがして単行本をだし、ビニルパッケージを破く。

 すべすべしている表紙カバー。イラストの背景はふつう、まっしろなのだけれども、今巻は淡いブルーだ。

 カバー袖の作者のゆるい自画像とやる気のなさそうなコメントを読み、登場人物紹介と、前巻までのあらすじを読む。あらすじはかなり端折られている。これだけ読んでも、どんな物語なのかよく解らないだろう。

 左の方から、なごやかな空気の邪魔をするように誰かが歩いてくる。

 さっきの男だ。

 気づかないふりをして読みつづける。

 テーブルのそばを通り過ぎてゆくのが視界の隅に入る。

 かすかに鼻をつく、煙草のにおい。

 こちらへ背を向けたところで顔を上げてみる。

 スカジャンの背中におおきく刺繍された劇的な光景に、目を奪われる。

 男は通路をレジへと向かう。たかちゃんは通話中。片手をスカジャンのポケットにつっこんだまま、なんで金なんか払わなきゃなんねえんだよ、とでも言いたげな態度で会計を済ませると、ガラスのドアを押し開けて、出て行った。店内の空気から不穏さが消えて、ほっとする。

 鼻歌を歌いながら戻ってきたたかちゃん。わたしに微笑みかけようとした時、テーブルの上の何かに目をとめて――というより、何かの不在に気がついて、凍りついた。無表情でつぶやいた。

 指輪がない。

 あいつだ、と直感した。え、どこにやったっけ、とスカートのポケットを探りだす彼女に、口から出るにまかせた早口でことの次第を説明する。

 追いかけよう、は、いらなかった。怖い奴だったらどうしよう、も、濡れぎぬだったらどうしよう、も、まったく頭に浮かばない。二人ともだまって荷物をまとめて上着をはおり(わたしはグラスの水を含んで口をゆすぎながら――こんな時にも習慣はものを言うらしい)、足早にレジへと向かう。

 あたしが出しとくから後で、とたかちゃんが言い、わたしはガラスのドアを押し開けて外へ出る。

 寒気を浴びる。道の左右を確認する——ちくしょう、いない。どっちに行って、どっちに曲がった?

 右へと駆けだした。あえて人の多い駅前とは逆の方へ逃げたのでは、と思ったのだ。こんな時、理屈をこねるとどうもうまくいかない。

 十字路まで来た。左右を確認する——ちくしょう、外れた。左へと曲がる。突きあたりはもう駅前通りだ。行き交う人々の数がちがう。さっさと出たくて気がはやる。

 さあ、どこだ。さっきよりも増えている老若男女の人手のなかに容疑者を探す――いた。ど派手な刺繍をはりつけた背中がアメ横方面へと歩いてゆく。もうかなり先にいる。たかちゃんが追いついてきた。


 見つかった?
 あそこ、あそこ!