フィルムからフィルムまで #4
《有りがたうさん(1936)》

あらすじ

山あり海ありの天城街道をゆく乗合バスの運転手“ありがとうさん”。道幅がせまいので、人や車や動物に行きあうと、脇へよけてもらわねば通れない。彼はそのつど必ず「ありがとう」と窓の外へお礼をいう。人柄が良くてハンサムな、街道筋の人気者。きょうも村人・旅芸者・行商人など、さまざまな乗客をのせて小さな港町を出発したのだが……。(原作:川端康成)

※この連載では、冒頭シーンの描写もふくめて、あるていどストーリーの展開に触れています。あらかじめご了承ください。


姉さん、色々ご馳走になりましたねえ。いずれまた、どっかで。
縁があったらね……さようなら。

 舗装されていないため地面がむきだしな峠道のカーブ。

 いくぶんかしいでいる木製のガードレール。

 ゆっくりと雲が流れている空、なだらかな山々。

 のどかな風景の中、のっけから軽快な音楽が流れている。

 高らかにクラクションが鳴り響いた。

 ……けれども、車はやって来ない。


 まあまあ、もうじき参りますから。今の人はどうもせっかちでいかんね。そう語りかけられているかのように、カメラもそのままじっと動かずに待っている。峠の時間を、そのまま記録しようとしている。

 顔のまんなか寄りに目玉を二つつけた路線バスがゆったりと曲がってきた。戦前のフォード製。こんな風景にいかにもふさわしいデザインだ。

 つづいて、運転席から前方を眺めているかのような視点に切り替わる。街道にいるひとびとの姿が、次から次へと近づいてくる。

 
 ツルハシやクワで、道をならしている男たち。

 ありがとーう……。

 荷車を馬に牽かせている男。

 ありがとーう……。

 薪をどっさり背負った男たち。

 ありがとーう……。

 前掛けをして手拭いをかぶり、箱詰めの荷を背負った女たち。

 ありがとーう……。

 まっしろな羽根をばたつかせて騒ぐ、ニワトリの一団。

 ありがとーう……。

  

 道の脇へよけてくれるたびに手袋をはめた右手をあげて、余韻をひくような優しい声で、お礼の言葉を投げかけてゆく。

 

 “だから彼をありがたうさんと云ふ”

 

 バスは砂埃をあげながら、小さな港町へと入ってゆく――ひと休みしてから、また海道をゆき峠道を越えて、東へと向かうのだ。

 それぞれの背景、それぞれの目的をもった乗客たちをのせて。


 日本列島のあちこちに高速道路や新幹線の線路が通されるまえの街道の風景があざやかにフィルムに焼き付けられている。軽快な音楽にのせて展開してゆく車窓風景のような映像を眺めているだけでも心地がよくて、戦前の日本へタイムスリップしたような気分になれる。

 すぐに気がつくのは、登場人物のひとりひとりが、とてもゆっくりと話をすることだ。まるで台詞だけスロー再生をしているかのように。

 映画に音声をつけられるようになって間もないころの作品だからなのだろう。日本初の本格的なトーキー(発声映画)の公開は、わずか5年前の1931年。それまではサイレント(無声映画)が主流で、劇場では映像にあわせて活動写真弁士が語ったり、ピアノや弦楽器をライブで演奏したりしていた。

 新しい映像メディアによる表現をまだ模索していたころの映画。

 どの人物も、言葉を選びながら慎重に喋っているようにみえるのが面白い。

 言葉は言霊、という共通認識があるかのように。

 ゆっくりはっきりとものを言うので、目を閉じていてもよさそうなくらい安心して聞いていられる。息をもつかせぬ急展開の映画とは正反対だ。


 多くの人物が出てくるのだけれども、主役の“ありがとうさん”を含めてひとりも名前がつけられていない。クレジット表記も「黒襟の女」「髭の紳士」「行商人A」「東京帰りの村人」といったもの。人生航路のある一日にある一台のバスに乗り合わせることになったある一団、という印象を受ける。

 和気あいあい、というわけではない。クレーマー気質の乗客もいれば、互いに避けあうような関係性もある。いさかいも生じる。

 けれども、どこか距離感が近いのだ。赤の他人同士なのに気軽に声をかけ、かけられた方も気軽に応じる。もめるにしても、お互いに本音で話す。台詞やエピソードの数々からは当時の厳しい社会状況も窺えるのだけれども、気の利いたユーモアとともに、作品世界はどこか優しげな雰囲気に包まれている。

 それぞれがお互いの存在を、しっかりと認識し合っている。
 乗客同士はできるかぎり距離をとり、イヤホンをしてスマートフォンを見ながらマイワールドに没入している都心の電車内とは、対照的な世界だ。


 下町コミュニティのご近所同士には今でも、本作のそれに近いような関係性がある。顔を合わせれば挨拶を交わすし、暑いねえ、とか、いってらっしゃい、とか、今年も紫陽花がきれいに咲きましたね、とか、雨が降ってきたよ(洗濯もの濡れちゃうよ)、とか、あたりさわりのない会話を気軽に交わしている。

 世代的な問題でもあるのかもしれない。考えてみたら、そういう話をするのは歳の離れた方々とばかりで、しかもあちらから声をかけてくださることが多いような気がする。

 袖振り合うも他生の縁、か。

 たまたま隣あった同世代ぐらいの人と、今晩は夜風が気持ちいいですね、そうですね、なんていうやりとりを交わしたことなんてあったかな。

 この夏、思いきって話しかけてみたら——なんだこいつ馴れ馴れしいな、とあとからSNSで呟かれてしまうのだろうか。

《フィルムからフィルムまで #4『有りがたうさん』 了》



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