フィルムからフィルムまで #13
《(ハル)(1996)》

あらすじ

社会人アメフトチームの選手だった速見昇は、怪我のために生きがいを喪失し、落ち込んでいた。そんな時、パソコン通信の映画フォーラムで知り合った(ほし)とメッセージのやりとりを重ね、親しくなってゆく。「僕は」と男言葉で書いてくる相手に、一度会って酒でも飲もうよ、と切り出してみるのだが……。

※この連載では、冒頭シーンの描写もふくめて、あるていどストーリーの展開に触れています。あらかじめご了承ください。


1.(ほし)
題名「教えて」
最近ハル元気ないな。こんな元気な奴、今の時代にいる訳ないと思っていたんだけど、正直安心してるよ。

 電源ボタンを指先で押す音。

 内部のファンが高速回転を開始し、ちいさな電子音を発しながらコンピュータが立ち上がってゆく。

 マシンの中に棲んでいるこびとが手順をひとつひとつ確かめながら進めているかのような、のんびりした調子だ。

 まっくらな画面にゴシック体で、簡潔なガイダンスが浮かびあがる。


 ハンドル名を入力してください。


 「はやみのぼる」と入力される。
 ……本名じゃまずいよな。と考えたのか、「やみのぼ」を削除して「はる」につづめられた。さらに「ハル」へと変換される。パソコン通信にアクセスするのは初めてなのだろうか。

 地上波テレビ放送の、なにも映らない砂嵐の画面を思わせるノイズとともに、ダイヤルアップ接続を行うさいの信号音が鳴り響く。かつてはインターネットにアクセスするだけでも、こんなもどかしいプロセスが必要だったのだ――けれどもそのぶん、明らかに日常とは異質な世界と繋がろうとしているのだ、という空気が伝わってくる。

 ノイズのやんだ先に待っている、どこの誰ともわからない人々と、どこの誰とも明かさないまま繋がり合うことのできる、静謐な空間。

 (ハル)こと速見は、仮面と素顔をぎこちなく使い分けながら、無個性なフォントでつづられたテキストのみを介して、匿名の他者との奇妙なコミュニケーションを重ねてゆくことになるのだった。


 映像、という表現メディアに初めて音声がつけられたのは、今から百年ちかく前のことだった。黎明期の映画には、音声が入っていなかった。

 そのためシーンの合間にちょくちょくカットが入り、俳優の台詞や状況説明をまっくらな画面にテキストで示した「中間字幕」が挿入された(それが本編と相まってテンポを生んでいたり、文字のデザインも凝っていたりして、独特な趣がある)。

 BGMは、ピアノや弦楽器などによる生伴奏。さらに活動写真弁士がスクリーン脇の演壇に立ち、たくみな話芸で説明をつけたりもしていた。


 そうした通称「サイレント映画」を思わせるような演出が、『(ハル)』では採用されている。

 パソコン通信の「映画フォーラム」におけるグループチャットのようなやりとりや、そこで(ハル)が知り合った(ほし)との一対一でのメッセージのやりとりが、シーンの合間合間に「中間字幕」のように頻繁に表示されるため、二人のパソコンの画面を横から覗かせてもらっているかのような気になってくる。

 そこへピアノのBGMや現実世界の環境音が絡みながら、映画内の時間は淡々と流れてゆく。

 観はじめにはかったるさも感じられるものの、そのユニークな世界観に慣れてくるにつれて、じわじわと、しかし確実に盛り上がってゆくいくつかの出会いと別れのドラマに、いつの間にか惹き込まれてゆく。

 相手の顔も名前も、住んでいる所もわからなければ、身近な人には話せないことも気軽に話せる。新作映画の結末について感想を述べあったり、同僚や恋人との関係についてざっくばらんに悩み相談をしたり――とはいえ時には見栄を張り、格好をつけながら。文章だけでは感情を伝えきれないと思ったら、顔文字を使えばいい。

 当時のネット社会も、現在のそれと大いに通じているようだ。


 Wi-Fiや5G、タブレットやスマートフォン。

 インターネットやコンピュータが劇的に発達した未来から二十世紀末をみてみると、まだ三十年も経っていない、ということが信じられない。接続環境も大幅に改善されて、ワイヤレスでしっかりと繋がっていられる有り難さに、あらためて気付かされる。

 『(ハル)』の公開は、1996年。1998年には、同じくパソコンメールを介しての出会いを描いたハリウッド映画『ユー・ガット・メール』が公開され、大ヒットを記録した。……当時は敬遠していたけれども、観てみようかな。

《フィルムからフィルムまで #13『(ハル)』 了》



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