下町びとの少し昔話
第2回 個性的につながり合う喫茶店《上野〜御徒町》

まえがき 事実/小説、いずれも奇なり


 この連載では、前の週の『平成おとぎ草子』に登場した下町のスポットなどについて、記憶を辿りなおしながら改めてご紹介してゆきます。こちらをお読みになってから小説世界に戻っていただくと、異なった風景が脳裏に浮かんでくるかもしれません。

 ドラマ『孤独のグルメ』の最後には、その回に登場したお店を原作者の久住昌之氏が実際に訪問する『ふらっとQUSUMI』というコーナーがありますが、このエッセイも、小説に伴走して励ますような存在になってほしいと思っています。

個性的につながり合う喫茶店

 『湖畔にての鬼退治』の中盤、夢の世界のむかしの上野で、藤本今朝子が長年の心のしこりになっていた出来事と向かい合うことになる喫茶店「湖畔」には、イメージの参考にさせて頂いた店舗があります。御徒町駅から出てすぐのところにあった「純喫茶 渚」です。

 とはいえ、入ったことはありませんでした。気になってはいたものの、たしか入口は店内がうかがいづらいような硝子のドアだったこともあり入店をためらったまま時を過ごし、ある日通りかかると、店仕舞いをしていました。


 純喫茶好きの方のブログに載っていた写真をみると、店名にちなんでか、青い生地のソファや白いカーテンをインテリアに採り入れた印象的な空間だったようです。コーヒーカップやソーサーも、青いタツノオトシゴをあしらったオリジナルデザイン。

 思いきってあのドアを、ぐいっと押してみればよかったな。閉店はもう十年以上前のことだそうなので、本当に今さらで、申し訳ないけれども。惹かれていたのに忘れてしまっているお店の記憶、どれくらいあるのだろう。無意識の倉庫から残らず引っ張り出せたらいいのに。


 ダンケ・王城・ギャラン・丘・ボナール・桂・トリコロール……。

 下町エリアを散策していると、上野〜御徒町エリアの喫茶店に限ってみても、さまざまな店名が目に入ってきます。それぞれ個性的な店舗なのに、名前は漢字かカタカナばかりなのが面白い。

 言葉そのものの意味はまったく異なるけれども、発想には通じるところがある。決まり事になっているとは思えないので、店主個人の思い入れを籠めつつも「純喫茶らしい名前にしなくちゃな」という意識も働いた、ということなのか。

 お互いに個性を主張しつつ、繋がり合ってもいる。ライバルとはいえ、コーヒー屋仲間としての連対意識のようなものも感じられるのがいいなと思います。

 身体が一つしかないのが歯がゆいけれども、次はどの喫茶店に行こうかな。




《下町びとの少し昔話 第2回 個性的につながり合う喫茶店 了》